2012年度活動報告
早稲田大学新潟市稲門会会則
早稲田大学新潟市稲門会会則
【第1条】
本会は、早稲田大学新潟市稲門会という。
【第2条】
本会は、会員相互の親睦を厚くし、早稲田大学並びに早稲田大学校友会の事業を援助することを目的とする。
【第3条】
本会は、早稲田大学卒業生並びに早稲田大学校友会推薦校友で、新潟市及びその近郊に住所を有する者をもって組織する。
【第4条】
本会の事務所は、新潟市に置く。
【第5条】
本会の会議は、総会及び役員会とし、総会は年1回、役員会は随時開くこととする。
2 総会・役員会の議長は、会長或いは会長の指名したものが、これにあたる。
3 各会議の決議は、出席者の過半数をもって決する。
【第6条】
本会には、次の役員を置く。
会 長 1 名 顧 問 若干名
副会長 若干名 監 事 1 名
幹事長 1 名 事務局長 1 名
会 計 1 名 幹 事 若干名
【第7条】
会長及び監事は、総会の決議により会員の中より選出する。
2 副会長・幹事長・会計・事務局長・幹事は、会長が委嘱する。
3 顧問は、会長が委嘱し、総会の承認を得る。
4 会長は、必要に応じ各役員の代行・副任を設けることができる。
【第8条】
役員の任期は3年とし、再選を妨げない。
【第9条】
本会の経費は会費及びその他の収入をもって充てる。
【第10条】
本会の会費は、年額2,000円とする。
【第11条】
本会則の変更は、総会の決議による。
【第12条】
本会の会計年度は、10月1日に始まり9月30日に終わる。
付 則 本会の施行日は、昭和53年2月20日とする。
昭和55年2月20日改正。
昭和57年9月4日改正。
昭和61年10月24日改正。
平成9年11月27日改正。
会長メッセージ
新潟市稲門会会長の小林です。前任の富山会長からH30年1月に引き継ぎました。同じ校歌を歌い、同じキャンパスで学んだ同窓が、ここ新潟で集まっています。転勤などで新潟に来た方も多数いらっしゃいます。年齢も、卒業したばかりの新人から大先輩まで幅広く、女性も行事に多数参加しています。新潟県下には中条から糸魚川まで、各地で稲門会が活動しており、年1回各地稲門会持ち回りで県大会を開催しています。総長も2年毎にお出でになります。
新潟市稲門会の活動は総会・新年会からスタートし、ビールと日本酒を楽しむ納涼会、秋の県大会へと続きます。H31年度からはゴルフ会も開催し、また他校との交流も進めて行きたいと考えています。
とかく早稲田は群れるのが嫌いと言われています。しかし、年数回学生時代に戻り、声高らかに校歌や紺碧の空を歌うのも気持ちの良いものです。行事に参加することで、ビジネス上の人脈作りはもちろん、会で知り合った同士で交流したり(中には結婚した人も!)と、人生の幅が広がるのは間違いないです。
これから入会の方、最近案内はがきが来ないという方、事務局に連絡し登録をお願いします。一緒に活動していきましょう!宜しくお願いします。
新潟市稲門会会長
S59 法学部卒 小林建
新潟明訓高校卒、(株)コバリキ代表取締役
連絡先事務局・年会費
株式会社国際総合計画総務課
安澤 道夫
anzawa@itp-co.com
Tel:025-241-3666 Fax:025-241-3479
090-3209-9659
年会費 2000円
口座名義「新潟市稲門会」 第四銀行本店 普通 2269158
北越銀行 古町支店 516364
『新潟市稲門会の沿革を展望する』
早稲田大学校友会新潟県支部元幹事長
新潟市稲門会元副会長・幹事長 牛木 護
はじめに
このたび、新潟市稲門会の富山会長より新潟市稲門会のホームページを作成したので「沿革」を書いてくれないかと、依頼されたのですが、私自身新潟県支部新潟市稲門会の幹事長を辞任してから20年近くも経ち、資料関係も後任者に引き継ぎ手元にないうえに、戦後
坂口献吉会長、白勢誠一会長時代に幹事長としてお仕えした父牛木一男の実家の火災などもあり、資料がほとんど消失したこともあり、正確な稲門会沿革の記録はないので、お断わりしたのですが、思いつく『展望』でもよいから書いて欲しいとのことでしたのでここに思いつくままに私の記憶の一端をご披露させていただきます。
坂口献吉会長時代
坂口会長が創業された新潟日報とBSN新潟放送が昭和41年の発行した「坂口献吉追悼録」には昭和3年早大越佐会会長市島春城先生25年記念会の写真に33歳の坂口会長と当時の学生(私の父も学生服姿で入っている)らとの写真、昭和初年早大校友会新潟支部幹事として母校の発展に努めていた当時、母校から高田早苗総長、市島謙吉氏らを迎えて新潟市行形亭で校友大会が盛大に行われたと写真で紹介されている。その中には、斉藤喜十郎(※1)や三宅正一(※2)、稲村順三(※3)氏らも含まれている。
坂口会長が61歳当時イタリア軒で開催された総長を歓迎した校友会には会津八一(※4)先生も同席されている写真も載っている。坂口会長には石井幹事長(石井壮一氏のご尊父)と父がお仕えした。父は坂口会長を大変尊敬して、逝去された時には通夜の帰りに事務所により、生前の坂口さんを偲んで涙が止まらなかったと、後日、「早稲田学報」に寄稿している。
白勢誠一会長時代
坂口会長が退任後は白勢商事社長(第四銀行監査役)が会長に就かれた。白勢会長がご多忙だったこともあり、父は会長に代わって白勢会長時代は幹事長、商議員、評議員として母校との連絡や夏休みには毎年来られる総長ご一行との連絡や各地方稲門会との連絡に県内くまなく奔走していた。オール早慶戦や早大グリークラブや早大交響楽団を招いたのもこのころだった。昭和56年ころは100周年事業で人間科学部の校舎を所沢にするか幕張にするかで評議員会で激論されていたようで、当時新幹線開通前の時期に毎週評議員会に呼ばれた高齢の父には負担であったろうと思う。昭和56年9月7日幹事長であった父は仕事中脳梗塞で逝去した。
白勢会長もこれを機会に退任された。
風間栄一会長時代
白勢会長が退任された後、新潟市稲門会校友の有志が当時新潟商工会議所会頭であった大久保政賢氏に就任を依頼したがご多忙を理由に固辞され、大久保さんの推薦で風間栄一氏が幹事会の議を経て総会で会長に選出された。風間さんはベルリンオリンピックのレスリングの選手で有名人であった。
風間会長の時に初めて新潟県支部全体の組織も確立し、名簿も作成された。これには安田副幹事長はじめ各地方稲門会の絶大なるご協力のもとに完成されたことを強調しておきたい。風間栄一会長が逝去された後、新潟市稲門会は渡辺清氏が会長に就任し、その後橋本誠氏が就任され、現在の富山会長に引き継がれている。
以上
脚注
※1 斎藤喜十郎氏・・・新潟の三大財閥。元の燕喜館、斎藤家夏の別邸の所有者。
※2 三宅正一氏・・・・日本社会党の創始者の一人。衆議院議員。
※3 稲村順三氏・・・・農民活動家。社会党衆議院議員。
※4 會津八一氏・・・・早稲田大学教授。美術家、書家、歌人。會津八一記念館あり。
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